河内音頭 山昌会
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お柳
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河内音頭で歌われている歌詞はいろいろあり、各音頭会によって特徴があります。
ここでは
山昌会で歌われている河内音頭の歌詞
をご紹介します。
お柳
エー 音頭は聞きもの 踊りは見物
叩く太鼓は打たれもの ヨーホイホイ
エンヤコラセーエ ドッコイセー
伺い述べます お粗末ながら
河内の国の出来事で 明治時代の大事件
水分騒動で人を斬る 十人斬りのその中で
お柳あわれや最後の別れ 悪声ながらも一生懸命と務めましょう
ソラヨイトコサー サーノヨイヤーサーサッ
エイたった一人の妹お柳、最後の別れをせんものと ヨーホイホイ
エンヤコラセーエ ドッコイセー
赤坂村はニガラ辺の 奉公先は添田五兵衛の 裏の木戸
夕餉の支度か米とぎながら いそいそと
垣根越にと小さな声で “お柳 お柳”
お柳と 二三度呼んだなら 聞こえたものか
振り向いて”誰かと思たら兄やんか、しばらく姿が見えんので
どこか身体が 悪いのか それとも喧嘩で怪我したかと
今も案じていたとこよ” ヨーホイホイ
エンヤコラセーエ ドッコイセー
云われた時にゃ弥五郎は 何と優しい事を云う
金が無ければ無理にでも 年季延ばしてむしりとり
酒のみゃ難題持ち込んで こんなやくざなこの俺を
それ程までに 気づかっていてくれるのかとおもったら
急に目頭熱くなり、 お柳の両の手しっかり握り
”兄やんなア 今日来たんはちっと用事で遠い所へいかなあかんネン”
”兄やん 遠い所てどこやのん” ”九州や”
遠い遠い九州へ 石炭掘りに行くさかい、これが最後になるやも知れぬ
たった一度も兄らしい事もお前にゃしてやれず
”さんざ苦労のかけ通し このまま行くのは辛いけど
これも運命とあきらめくれヨ”
ソラヨイトコサー サーノヨイヤーサーサッ
”小さい頃に二親に 死に別れたる兄妹と
例え極道の兄じゃとて 血肉を別けた肉親は
広い世間で二人だけ ヨーホイホイ
エンヤコラセーエ ドッコイセー
”兄やん一人が九州なんぞへ 行ってしまえばこのわては、
誰をーーーー頼って生きるのかーーーー 金がいるなら働いて
何とか都合も付けましょう、
うちは一生嫁入り出来づとも
決して兄さん恨リャませぬ” だからだから
何処へも行かないで どうか河内に居ておくれ
弥五郎胸にと取りすがり わっとばかりに、
わっとばかりに泣き叫ぶ
ソラヨイトコサー サーノヨイヤーサーサッ
”泣くな止めるな妹ヨー” 実はこうよと打ち明けて
云ってやりたい胸の内 ヨーホイホイ
エンヤコラセーエ ドッコイセー
それも出来ない不甲斐なさーー 何に例えるすべもなく
いかに陽気な弥五郎も さしうつむいて、涙声、
男同士の約束で行かにゃならない意地がある、
寂しいだろうが来年の 盆にゃ
必ず戻るから お前も身体に気をつけて
達者で暮らせよ のうお柳
縋るーその手を払いのけ 水分神社の森陰に
涙堪えて走り去る 後見送った妹お柳
兄の姿が伸びあがり又伸び上がり大声で
”兄やーん 兄やーん”
声を限りに泣き叫ぶ 無理もないぞえ兄妹の これがこの世の
見納めじゃものー 別れ辛いのも無理はない
ソラヨイトコサー サーノヨイヤーサーサッ
涙で別れたニガラ辺のーー 時は来たれし
目の前に ヨーホイホイ
エンヤコラセーエ ドッコイセー
明治二十は六年五月二十五日は嵐の夜
風吹かばー吹け 雨降らば降れ 地の熱くなる様な雨嵐
今宵恨みは 晴らすぞとーー
三条小鍛冶や村田銃ひっさげまして
宙飛ぶごとく赤坂村は
水分の 松永一家へ切り込んで いざこれよりも
十人斬りの本筋に移りましたが 皆様へ又の御縁と致しましょう
お聞き苦しきその中を お叱りもなく最後まで
ようこそ御辛抱いただきました
厚くお礼申し上げ それでは皆様さようなら
ソラヨイトコサー サーノヨイヤーサーサッ